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俵 万智さんの「未来のサイズ」に「最後とは知らぬ最後が過ぎてゆく その連続と思う子育て」という短歌があります。
子育ての中で初めての瞬間は覚えていても、最後の瞬間はふと過ぎているもの。無数の終わりの瞬間は子どもの成長の証ではありますが、その分過ぎ去る貴重な時間を惜しく思う気持ちが一文に込められているように感じます。
こうした「知らぬ間に終わる最後」に焦点を当てた広告も話題になりました。花王のメリットの広告で「最終回は、気づかないうちに終わっていく」というキャッチフレーズが共感を呼びます。ある日、子どもが「今日から自分でシャンプーする」と言った時、親は初めて昨日が“頭を洗ってあげる”最後の日だったと気づくのです。気づかぬうちに過ぎていた小さな“最終回”に多くの共感の声が挙がっていました。
どちらも子育てに焦点を当てていますが、人生にも通じるでしょう。また会おうと思っていた人、また来ようと思っていた場所は、実はもう最後だったかもしれません。でも、その一つ一つを最後かもしれないと考えるのは疲れてしまうので、振り返った時に「あの日が最後だったけどいい思い出だ」と思えるように過ごしたいですね。
帰り道にたまに寄るたこ焼き屋。おばあちゃん2人が営む一畳ほどの小さなお店は、4個100円、8個200円と昔ながらの価格設定で、学校帰りの小学生や親子連れで賑っています。決して大きくはないタコのかけらが入っていて、どこか懐かしさを感じるその味は大人でも食べたくなります。
ところが先日立ち寄ったところ、年末年始に高齢のため閉店するという張り紙が。最終日は決まってないようで、年末あたりから材料がなくなり次第閉店と書かれていました。あと何回ここのたこ焼きを食べるのか、次が最後になるかもしれないし、あるいは今日買って帰ったたこ焼きが最後かもしれない。最終日が決まっていないたこ焼き屋、気づいた時にはその日が過ぎてしまうかもしれないですが、あの懐かしい味と小さなお店は忘れないようにしたいです。